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井口資仁 引退試合も華やか!! 誰も語らなかった「あいつだけは許さんぞー!笑」! [スポーツ]






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ロッテ井口資仁内野手(42)の引退試合が行われ、<ロッテ4-3日本ハム>で勝利し、最後の引退試合まで華やかな幕切れで21年間の野球人生を終えた。そんな井口資仁選手の試合後の引退スピーチや誰も語らなかった「あいつだけは許さんぞー!笑」!

●井口資仁選手、引退試合後のスピーチ

【写真】


このようなセレモニーを行っていただいた、ロッテマリーンズの関係者の皆様、最後まで残っていただいたファンの皆様、本当にありがとうございました。

 ホークスで8年、アメリカで4年、マリーンズで9年、常にチャレンジを忘れず、挑み続けてきました。

入団当初の目標だった2000本安打、メジャー挑戦、40歳まで現役。

他の選手では経験できないことを多く経験させていただき、自分自身の宝になりました。

そして、21年間、多くの皆様に応援していただき、今日の引退試合、そしてこのセレモニー、本当に最高の野球人生だったと思います。

小さい頃から夢だったプロ野球選手は今日で終わりますが、また明日から次の夢、目標に向かって、精いっぱい頑張ります。

そして、ますますの野球発展、野球振興のために尽くすことが、皆様への恩返しだと思っております。

わがマリーンズですが、このような順位で終わるチームではありません。

まだまだ、伸びしろのある中堅、若手選手がたくさんいます。

ぜひ、皆さん、今以上に熱い声援をよろしくお願いします。

そして、選手の皆様、来シーズンはこの悔しさをファンとともにぶつけて、このマリンスタジアムにチャンピオンフラッグを掲げて下さい。

選手の皆さん、期待しています。

最後になりました。21年間、熱い声援をいただいたファンの皆様、チームの皆様、サポートしていただいた球団の皆様、全ての皆様方に感謝して、今日、ユニホームを脱ぎたいと思います。

21年間、本当に、本当に、ご声援ありがとうございました。


●井口資仁 引退「あいつだけは許さんぞー!笑」金村義明



●井口資仁選手のプロフィール
【画像】
本名   井口 忠仁(いぐち ただひと)
生年月日 1974年12月4日(満42歳)
出身地  東京都田無市(現:西東京市)
出身高校 國學院大學久我山高等学校
出身大学 青山学院大学
血液型  O型
身長   178cm
体重   91kg

ポジション セカンド、ショート、ファースト
投球打席  右投げ右打ち
所属球団  千葉ロッテマリーンズ
背番号   6番

福岡ダイエーホークスで活躍したのは、
ダイエーオーナーの中内功氏に認められたのは
井口資仁選手と同じ青山学院卒という繋がりでした。

そんなこともあってか、1996年のドラフト会議では、
福岡ダイエーホークスを逆指名して井口資仁選手入団。

現在では逆指名制度はなくなってしまっています。

●井口資仁選手のこどもからの野球人生
井口資仁選手が野球を始めたのは、小学校の4年生の時でした。

野球を始めた当初は、キャッチャーからのスタートでした。


中学校3年生の時には、全国大会に出場するまでになり、
キャッチャーとして大活躍していました。


そして高校になってからショートにポジションを変更し、
2年生の時には全国大会にも出場しています。


その後は大学へと進学していき、青山学院大学で
プレーしさらに野球に磨きをかけていきました。


青山学院大学では4年生のときには主将、
キャプテンとしてチームを牽引し、
一方で1996年のアトランタオリンピックでは
日本代表としてもプレーしていました。


この時の日本代表は決勝戦でキューバに敗れて
残念ながら銀メダルでした。


ところがこのとき、井口資仁選手はキューバ代表の
プレーに衝撃を受け、このことが端緒となって
メジャーリーグへの挑戦に繋がっていきます。


ちなみに井口資仁選手は大学での成績としては、
東都大学リーグ史上唯一となる『三冠王』という
記録を残しています。


この井口資仁選手の記録は、未だに東都大学リーグでは
誰も達成していない記録となっています。


●●プロ入り後の井口資仁選手
1997年から福岡ダイエーホークスのプロ野球選手
となった井口資仁選手ですが、プロの世界は
そう甘くはありません。

オープン戦での故障もありましたが、
開幕一軍とはいきませんでした。

5月には一軍での初出場となりますが、
打率に悩み下位打線での起用が主でした。


2000年にはシーズン中に左肩を負傷し手術。

2001年からはポジションをショートへと移行。

ちなみにこの時のセカンドには、鳥越裕介選手の
存在が大きく、そう簡単にはいきません。


また、井口資仁選手はこの年からは盗塁にも
力を注ぎ、44盗塁で見事に盗塁王を獲得。

そして、ホームランも自身初の30本を記録など
徐々に数字的にも成績を残すようになります。

そして2005年からは井口資仁選手の念願だった
メジャーリーグへの挑戦が始まります。

●●メジャーリーグの井口資仁選手
2005年から2007年途中までは、シカゴ・ホワイトソックスでプレー。

2007年途中からはフィラデルフィア・フィリーズで。

2008年にはサンディエゴ・パドレスでプレー。

途中からは再びフィリーズでのプレーとなり、
この年に田口壮選手と共にメジャーリーグ選手でも
なかなか手にすることができないと言われる
チャンピオンリングを手にしています。

●日本球界に復帰した井口資仁選手
2009年からは日本球界復帰し、
千葉ロッテマリーンズでのプレーとなります。

そして2010年には、レギュラーシーズン3位
からの逆転優勝にも貢献。

●井口資仁選手の引退理由?
生涯年俸は約29億2200万円という数字。

実際は、これに出来高の報酬金額は含まれていません。

この金額からもわかりますように、体への酷使は
計り知れないものがあったのでしょう。

あとは推して知るべしというところでしょう。


井口資仁選手の引退後はどうされるのか
まだ明らかにされていませんが、

もちろんとも言うべき、コーチや監督などの
野球指導者になっていただきたいですね。

『小さい頃から夢だったプロ野球選手は今日で終わりますが、また明日から次の夢、目標に向かって、精いっぱい頑張ります。』

●井口資仁 引退試合も華やか!! 誰も語らなかった・・・まとめ
井口資仁選手は42歳という年齢にもかかわらず、ヨレヨレの引退ではなく、最後にホームランまで演出する幸運の持ち主です。

最後まで野球選手に必要なプロとしての『華』がある選手でしたね。

お疲れ様でした。ありがとうございました。


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