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安室奈美恵 母(ハーフ)の死はまだ信じられない!? 最愛の母の人生を振り返る! [芸能]






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安室奈美恵さんの母(ハーフ)の死はいまでも衝撃が奔る事件でした。安室奈美恵の母親・平良恵美子が殺害された事件の真相といきさつ、そして、安室奈美恵の母親・平良恵美子(イギリス人とのハーフ)の人生を沖縄の風土と合わせて振り返ってみました。


●安室奈美恵の母親殺害事件とは?
安室奈美恵がアイドルとして絶頂期を迎えた1999年3月17日に事件は起きました。

1995年1月に発売したソロシングル「TRY ME”私を信じて”」が大ヒットしたのが、2年後の1997年のことで、それに続いて1999年はまさに多忙を重ねていた安室奈美恵さんでした。

この多忙に加えて母親・平良恵美子の殺人事件が大々的に報じられたときは、「いったい、何が起きたのでしょう?」と安室ファンも茫然となったことを覚えています。


●事件の概要→狙われたのは安室奈美恵の母親?!
安室奈美恵の母親・平良恵美子をターゲットに襲ったのは義父の弟。

母親を車で執拗にはねたあと、義父が電柱の影にかばうように移動させたところを、なたで襲い掛かるという凶悪な殺人事件でした。

安室奈美恵の実母は病院へ搬送されますが、死亡が確認されます。

母親と義弟の間に何があったのかよくわかりませんが、よほど個人的な恨みを抱えていたのでしょう。

その後、義弟は逃走を続けます。

そして、山中から車内で農薬を使って自死している義弟が発見されました。

被害者の母親、そして被疑者ともに亡くなった事件で、事件の真相は闇の中ということになりました。

義父の弟は消費者金融に借金があり、安室奈美恵の母親・平良恵美子に借金を申し込んだところ、これを断られたことに逆恨みとなりこの犯行に及んだとも言われています。

●●安室奈美恵の母親・平良恵美子の人生とは?
安室奈美恵の母親・平良恵美子さん。

そして平良恵美子さんの母親(安室奈美恵の祖母にあたる人物)ですが、地元の歯科医と結婚していました。

しかし子宝に恵まれず、それが原因で離婚になったと安室奈美恵の母親・平良恵美子の著書「約束」の中で語られています。

その時代の沖縄では、嫁に子どもができないことは、十分離婚の原因になったということです。

子どもができなかった祖母が軍で働くことになって、そのときイギリスの軍人との間に生まれたのが、安室奈美恵の母親・平良恵美子さんでした。

安室奈美恵の母親・平良恵美子は北谷町の出身。

生後間もなく那覇へ転居しています。

父親の顔も知らずに育った安室奈美恵の母親・平良恵美子さん。

「約束」の本によれば、自分の父親について知っていることは白人であることくらい。

それも親戚から伝え聞いたのみの情報だということでした。

当時の沖縄では、ハーフであることは差別対象であり、母親はつらい子供時代を過ごした様子が書かれていました。

沖縄という土質というのか、未だに戦争の影を曳きづっている裏となる一面がそこにはありました。

まさか、この当事者が人気アイドルの安室奈美恵の母親とは誰も知る由もありませんでした。

●安室奈美恵の祖母・清子と母親・平良恵美子は?
祖母・清子は昼間米軍基地で仕事をし、夜はスナックへ。

昼夜問わずに掛け持ちで仕事をしながら安室奈美恵の母親・平良恵美子を育てます。

安室奈美恵の母親・平良恵美子は、地元の高校を卒業すると、バス会社へ就職。

しかし途中で仕事を辞めて親に内緒で上京します。

上京すると今度は、埼玉県の紡績工場へ転職しています。

その1年後、沖縄出身の経営者の甥と結婚。

いったんは沖縄へ戻り、安室姓になり、安室奈美恵の兄、姉を含む3人の子供を授かります。

●●沖縄の風土・土質・環境が災い?
祖母も母も今で言えば、身分の違いというのか、家柄の違いというのかそのことが原因で結婚生活に影を落としていくことになります。

古い習慣が未だに沖縄のひとたちに残っていて、変わることのない沖縄民族の頑固な一面なんでしょう。

戸籍上、父親の欄に名前がない安室奈美恵の母親・平良恵美子は、沖縄土着のいわゆる「門中」が強い結婚相手の家柄には快く迎え入れられることがなかったといわれています。

9年の結婚生活を経て離婚。

子供3人を安室奈美恵の母親・平良恵美子が女手一つで育て上げることに。

安室奈美恵の祖母同様に、昼間は保母、夜はスナックという働きづめの生活で、時には過労で倒れながら子供たちを育てたといいます。

小さいスナックを切り盛りすると才覚を現し、松山町では売れっ子ホステスに。

宜野湾市内に自分の店を出すほどの商才があったといいます。
いまでも宜野湾周辺は風光明媚な美しいところです。
(美しい場所はすべて米軍が使っています)


安室奈美恵さんは小学校から歌とダンスに人生を懸けると明言するほどの子供でした。

沖縄アクターズスクールへは母親が月謝の支払いができないことで辞退するも、校長に見込まれて異例の特待生扱いで入学。

交通費節約のため1時間かけて徒歩で通っていたとも伝えられます。

安室奈美恵さんにも人に言えない苦労はあったようですね。

門中
沖縄では一族、一門のことを「門中」と呼び、共通の始祖をもつ父兄血縁の集まりをいいます。門中で執り行う伝統行事も盛んで、春の清明の節になると一門揃って先祖の墓参りに行き、墓前祭祀を通して一門の絆を深めます。門中はその出自によって大きく二つに分れ、士族門中と平民門中とがあります。


●母親・平野恵美子が再婚!
宜野湾周辺ではナンバーワンと異名をとる、安室奈美恵の母親・恵美子のスナック時代に再婚したのが平良辰信。

母親・平良恵美子を追っかけるくらいの惚れこみようだったようで・・・。

母親・平良恵美子はこのとき42歳で平良辰信と再婚。
夫の平良辰信は初婚だったといいます。

平良辰信と再婚した安室奈美恵の母親・平良恵美子は平良辰信の実家がある大宜味村に転居し、本土では普通の二階建ての家を新築。

ハーフの安室奈美恵の母親・平良恵美子自身も、その本土風の二階建ての家屋も、血縁、地縁で固まった村周辺では好かれるタイプとはいかなかったようです。


夫婦喧嘩も激しく、パトカーがやってくるような激しい喧嘩もあったとする声もあります。

安室奈美恵の母親・平良恵美子は、東京の娘のもとに上京して過ごすこともしばしばだったと報じられています。

●3回忌を取り仕切る兄
一方、事件後の安室奈美恵の義父も、事件後3回目の命日に合わせるようにでき婚で再婚しています。

三回忌は施主を安室奈美恵の兄がつとめ、義父は親戚のひとりという立場で参列しています。

葬儀の喪主の段階からすべて安室奈美恵の兄が取り仕切り、墓の管理なども義父はノータッチとのこと。

●安室奈美恵 母(ハーフ)の死はまだ信じられない!? まとめ
安室奈美恵さんを苦労して育てて、やっとこれから優しい家族に恵まれる筈だったのに・・・。

こんな事件になろうとは・・・。

安室奈美恵さん兄弟3人、これからも力を合わせて母親の分まで幸せに生きて欲しいですね。



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